公共社会学とホットドッグとアップルパイとシャーベット

Mathieu Deflem
www.mathieudeflem.net

This is a copy of the Japanese translation of my essay, "Public Sociology, Hot Dogs, Apple Pie, and Chevrolet," published as an appendix to a translation in 社会学の構造変容, March 2015. Translation by 久慈 利武.
Also available in pdf format and online from the journal

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Please cite as: Deflem, Mathieu. 2015. "公共社会学とホットドッグとアップルパイとシャーベット." 東北学院大学教養学部論集 170:134-144.



【梗概】 公共社会学は公共的でもないし社会学でもない。公共社会学は認識論を持たない し持つことも出来ない。公共社会学のためにそして公共社会学に向かっていうならば,何ら 公衆を持たない。公共社会学には何ら論争が存在しない。代わりに公共社会学は社会学者の 間に宣伝することに成功を収め,広く支持を集めてきている。公共社会学は消費者を持って いる。公共社会学は社会科学のファーストフードである。公共社会学の影響は様々の仕方で 制度化されてきているので,目立つし実在する。私は公共社会学の制度化の条件を分析し, その力学と帰結を批判的に評価する.
序論 公共社会学に触れるのはこれが最後
これは私の最初のものではないものの,望むらくはこれを公共社会学に触れる最後の論文 であれと望んでいる。なぜならまだ起こっていない論争をこの論文が煽ることになると認め ねばならないから。書く理由が残されるだろうから,私のこの希望は愚かである。おそらく 私のサイドには時間がないだろうが。この論文を書く機会は 度目であるので,応答が誰か によって後続することが,掲載に先駆けて編集陣で決められていた。この論文をたまたま目 にした一般読者以外の誰に向かって自分が語っているのかを知らないので,これはちょっと 異例である。しかし少なくとも公共社会学においては何らかの一貫性があるのだろう。

この論文を書く機会は公共社会学の代表者の依頼に基づいて私が書く初めてのものであ る。典型的には公共社会学者は彼らが説教することを行わないし,彼らの活動を内輪に留め ておくことを常としているからこれは驚きである。これは ASA に公共社会学部会を設ける 作業グループの設置に見るように,彼らは選挙よりも任命によって統治しているから。例え ばマイケル・ブラフォイが ASA の会長に立候補して選出されたときのように,彼らの権力 が名目的部会に由来するものの,時には,彼らもポピュラーな正当性を主張する。公共社会 学とその勇ましいリーダーの登場は流星のごときものでなく論理的なものであった。という のはそれは ASA 執行部(組織に対する強い官僚的支配を持ち,我々の専門職団体を商業化 と一般への周知に移行させた)の全面支持を受けていたから。公共社会学の前進を支援する そのような大きな力があれば,他に何を望むというのか。それに批判的な社会学者がもっと 声を発し,もっとうまく組織されることがどうしてできよう。そのような力にはどんな公衆 も反抗できない。

公共社会学者の間では反抗は許容されないし受け入れられない。対話は公共社会学者に とって中心的でないばかりでなく,全く不在である。人目に付かないわけではないが,この 主題についての私の寄稿を承認したのはこれまでなかったことである。2004 年のサンフラ ンシスコでの ASA 集会で,ある公共社会学者が「デフレムを重視する者は一人もいない」 と述べた。多くの公共社会学者にとっては,この言明はおそらく真実であろう。何ら幻想も 後悔も含まれないであろう。というのは,公共社会学者の間では,取る戦術は敵対者を病理 扱いし同時に自分たちを理想化することであるから。おそらく私のマージナリティは,公共 社会学者が議論に参加することを拒絶する以上に冒涜することにある。しかし公共社会学者 が拒絶された論争に参加する機会がこれまで存在したことも否定できない。報復を恐れるあ まり公共社会学に公に異議を唱えることを恐れる ASA のメンバーと仲間の社会学者(特に 院生)が私に接触してきたと書いたとき(Deflem 2004c),公共社会学の家長はサルトルと ハバーマスが反動的と呼んだやり方で反応してきた(Burawoy 2004a)。彼は沈黙したままで あった。サンフランシスコでの ASA 集会では異議の声で許容されたものはひとつもなかっ た。いずれにせよ,出版の形であれ,オンラインであれ公共社会学に関する私の寄稿は学問 のアウトカーストへの急行に乗せるのをスピードアップさせたことであろう。私が受けた烙 印は「科学的イデオローグ」「怪物」であった。

私は公共社会学に対して批判的ではあるが,公共社会学の批判者ではない。私は法と社会統制研究を専門とする一社会学者である。公共社会学の言説に存在する合法性,正当性,統制に問題があるものの,それについて書くのは私の主要な動機ではない。社会学は私の職業ではあるが私は本格的な社会学者(プロの社会学者)ではない。私はその装いがどんなにフレンドリーであっても左翼のファッシスト体制によって押しつけられる真面目と一貫性の欠如を受け入れることはできないので,公共社会学と専門社会学の区分を受け入れることはできない。一社会学者として私はベターな議論の力だけを甘受する。
公共社会学を党派社会学の婉曲表現であることを見落とす専門社会学者は一人もいない。 なぜなら公共社会学に批判的である社会学者は社会学者にかわりないからである。シカゴか らバークレーへの移動というこの独特の結果を説明するにはかなりの量の同情が要求され る。公共社会学の登場は特に私を立腹させはしない。リチャード・ニクソンは,びっくりする一瞬の聡明と明晰をもって「人は尊敬する誰かに対してだけ馬鹿になる」と語っている。
 本稿では,公共社会学の制度化,公共社会学がどのようにして受け入れられ,支持され広く熱心に消費されるようになったかに触れるつもりである。確かに我々の文化の中身の欠如は賢いマーケテング・キャンペーンによって広い消費に導くが,そのようなトリックに惑わされない用意のあるプロフェッションの間で商業化が成功したのを観察することは依然驚きである。公共社会学の制度化は依然謎である。私はまず以前の著述で公共社会学に私が浴びせた批判のいくつかを簡単に再把握するつもりである(Deflem 2005a,b,c, 2004a,b,c)。

 1. 公共社会学は公共的でもないし社会学でもない

200304 年度 ASA 会長マイケル・ブラフォイによれば,公共社会学は階級不平等,人種 不平等,新しいジェンダー体制,環境の悪化,多文化主義,技術革命,市場原理主義,国家, 非国家暴力をめぐる公共論争を定義し,促進し,精通させる(ASA 2004)。さらに公共社会 学は何であるかと何になりうるかのギャップを暴露しながら,我々の知っている世界に挑戦 する(Ibid)。換言すれば,公共社会学は二重の制限を課す。第一に,公共社会学は一定分 野のリサーチに限定される。第二に,公共社会学は社会的世界の構造と過程の分析に志向せ ず,そのかわり何になりうるかという想像された非実在の世界によって世界に挑戦しようと するものである。

公共社会学は断片化され常道を外れた社会学である。社会学はひとつの社会科学であって, 定義により社会生活に関する科学的認識以外のものの促進と定義には関わらない。社会学的 認識は方法論と理論の事柄では基準を遵守し,経験的調査からの洞察を確認したり,反証す る。社会学は任意の特定の問題に限る必要はない。社会学的認識は世界に挑戦することはで きない。我々はそのような重要な任務のために哲学と道徳を持っている。

公共社会学とそれが導入する区分は社会学を他の倫理・政治的構想に社会学を包摂する戦 略的プランの一部である。社会学はつねに公共的である。公共社会学というタームは公共的 でない社会学が存在しうることを想定している。それではなぜそのタームが導入されたのか。 公共社会学のラベルは実践しているもの自身が「社会学的マルクス主義(Burawoy/Wright 2000)」というある特定のバージョンに薄いベールをかぶせるために盗用されたものである。 あるマルキスト・クラブ内部で公共社会学者も多くを容認する。ASA マルキスト社会学部 会ニューズレター,雑誌『批判的社会学』では,マイケル・ブラフォイはあからさまに,自 慢げに左翼政治を社会学に持ち込んだ自分の偉業を自慢している(Burawoy 2003, 2005a)。

前者のニューズレターで,ブラフォイは ASA は人種に関する政治論争に果敢に挑み,分 の の多数決で通過させたイラク戦争反対決議で政治に突き進んだと叫んでいる。ラデカル な社会科学雑誌「批判的社会学」のなかで,彼は公共社会学を民主的社会主義のビジョンに 責任を持つ,社会学的社会主義プロジェクトの中枢部分であると情熱的に書いている(Bura- woy 2005a : 325)。もっと広くには,公共社会学タームの占有に働いているのはシンボリッ クな力を獲得するための戦術的手である。社会学の現状に関する洞察ある分析の中で,ジェー ムズ・ムーディは「公共社会学タームは,学問の中の下位領域を定義する広く知られたやり 方に依拠することによって社会学的実践の意味をこっそり変えている」と述べている(Moody 2005)。「タームがいったん流通すると,定義の詳細は大体無関係である。個別を埋めること によってでなく,タームを設定することで力が得られるのである」。

 ごく最近になって,社会学的プロフェッション以外の公衆と何らかの関係のある活動が公共社会学を指すようになり,公共社会学というタームが「複数形」になったことである。これらの活動は政治的活動主義,メディアのインタビュー,テーチングという多様な事柄を含む。この戦術は「学界の外で仕事をする社会学者は公共社会学に批判的となり得ない」という誤認を蔓延させた。公共的知識人としての社会学者の役割を愛好し,実践している公共社会学の敵対者がいるという事実は皮肉である。

その隠れているが実在するアジェンダを所与とすれば,公共社会学は複数の見解が参加で きる議論のフォーラムではない。その代わりそれは任意の認識論を欠いたある個別主義的な 政治的立場である。公共社会学は他者との議論を一切許さない。公共社会学はそれ自身によっ てを除いて語られたり聞かれることはない。公共社会学は公衆を一切持たない。それは自分 勝手に話す。公共社会学はそれでない何かのために宣伝することに成功している限り,公共 社会学はアカデミックな学問としての社会学の公的な立場を侵害している。公共社会学はあ る程度のポピュラリティを享受しているが,そのポピュラリティは議論に基づくものではな く,社会学者に想定される目的と活動についての流布した概念に基づいている。公共社会学 はコカコーラとペプシの間での選択である。

社会学という学問は政争の具となってきた。公共社会学はひとつの帰結に他ならない。プ ロフェッションは監督を受けるようになってきた。公共社会学はひとつの帰結に他ならない。 ブラフォイの語るには,公共社会学は社会学の正当性を脅かさない。反対に,power that be は今まで以上に社会学と社会学者について考えられることは少なくない。いわゆる power that be にとって,社会学は実際には死んでいる。人はこの悲しい事態のために公共社会学 の登場を責めることはできないし,集団としての我々の構造的弱さが責められるものとは考 えることはできない。その代わり個別の学者としての我々のそれぞれの知的欠陥は公共言説 における我々が相対的にレリバンスを欠如するのに寄与している。しかし,少なくとも公共 社会学に反対するものは社会学者が自らの社会に正当に寄与しているしできる。それに対して個別主義的批判者として公共社会学者は自分を除くいかなるものにも耳を貸さないで,レリバントな社会学,アカデミックな学問として社会学に対する固いコミットメントを要求する。社会に関して絶対的に分析的である勇気は社会学の真の革命的性質である。根本主義の盲目的暗さを超越することができないために,公共社会学は最善でも退屈,最悪では保守的である。社会は公共社会学よりもましである。

2. 公共社会学の制度化 

公共社会学登場の種子は ASR の編集委員任命をめぐる論争(SSSTTalk 1999)よりおそら くずっと以前に撒かれていたであろう。しかし公共社会学の制度化へのはっきりとした転換 は,ASA で「境界なき社会学者と政治学者(現 境界なき社会学者)」グループのメンバーに よって決議が提起された 2003 年春に取られた。その決議は「ASA はイラクに対する戦争の 即時停止」を要求すべきことを定めていた(ASA 2003)。ASA 理事会はメンバーのその戦争 に対する個人的立場に関するオピニオン・クエスチョンを付帯して,学会会員に決議に向か うことを決めた。投票した会員の多数はその決議に賛成したので,イラク戦争が終結される べきというのが ASA の公式の姿勢となった。この決議は疑似社会学的争点としてイラク戦 争のモラリティを提示しただけでなく,ASA の政争化が通常化されることと類似した道徳 的事柄,政治的事柄に関する更なる決議が取り組まれる下地を引き起こした。この決議は公 共社会学制度化の最も明確な始まりを記した。

一年経て,2004 年 月 26 日に,同性婚を禁止する合衆国憲法修正の大統領提案に対する 決議が ASA 理事会に提出された。決議は ASA に結婚を男性と女性の間と定義する憲法修正 提案に反対することを要求した。月 日に,ASA 理事会は会員提案と ASA が定義する, 決議を決する会議を招集した。

しばらくの間,ASA 理事とその会長の活動は彼らの正体を晒した。決議は ASA メンバー によって発議されず,当時の会長ブラフォイの politicsoverprocedure(手続きより政治力 を使った)手法の結果であった。彼は既に ASA 編集委員長だったときに前科があった。そ の事柄が既に ASA 理事会で議論された後に ASA のある部会に彼は決議の考えを初めて提案 したのであった(Deflem 2004c)。

イラク戦争に対する決議同様,2004 年の婚姻に関する決議,もっと一般的には ASA にお ける倫理的・政治的趣旨は社会学という学問とプロフェッションにとって障害となった。問 題になったのは,我々がある権利,憲法条項が気に入る,気に入らないではなく,そのよう な事柄の決議を ASA で通過させるのかどうかであった。ASA とプロフェッション一般は彼 らが意図していなかったものになる危機に瀕した。そのほかに,ASA の決議は社会には役 立たなかった。これを読むことは公共社会学者にとってショックであろう。2004 年の ASA の集会で私がそれを言ったのを聞いた彼らにとってショックであったように。しかし ASA の戦争反対決議はイラクで進行している無感覚な殺戮からたったひとりの生命すら救わな かった。それは公共社会学者に自己満足させただけであった。あなたがたはそれを自慢した いのか。

社会学者の中には,無関係であるという代替肢(アカデミックスに絶えずある危険)は我々 のプロフェッションにおいて政治活動家であることでもなければ,特定の種類の活動だけを 認めることでもない。活動的社会学主義,単一の活動主義の代わりに,広範囲の社会学的活 動主義の促進だけが社会学的洞察を我々の社会を動かすより広汎な問いに有効に結びつける ものであった。我々の政治闘争,道徳闘争においては,複数の選択肢が存在する。しかし社 会学会を政争化させることに熱心な ASA 指導層と社会学を政争化させることに熱心な公共 社会学者は真理が露出するのを欲しなかった。彼ら自身の申告によって,かれらは真理に配 慮しなかった(Burawoy 2004b)。

マイケル・ブラフォイが ASA 会長に就任している間,公共社会学の導入以上にショック だったのは,公共社会学のアイデアがそれ以来易々と支持されたことと,公共社会学が制度 化された度合いであった。確かに社会学の大学院教育の思想なき繁殖も寄与要因のひとつで あった。今日社会学者は(正しいことに反対する)はるかに左よりというよりむしろ(,間違っ たことに反対する)やや右よりであるために,ASA 決議が通過した事実に注目。また公共 社会学を支持して靡いている歩兵の大半は,彼らの仕事が我々の学問にとって中心的でない ので,我々のプロフェッションにとっても中心的でない。一層重要なことは,公共社会学は, ASA 理事の努力のおかげで,近年起こっているプロフェッションの管理化と学問の商業化 の恩恵を受けてきていることである。

公共社会学の制度化と影響力は目立つし本当である。一部の社会学者が自分の関心,専門 領域として公共社会学にはっきり言及し,一部の学科は彼らのテーチング・プログラム,リ サーチ・プログラムで公共社会学にルーチン的にコミットしていることをアナウンスしてい る。バークレーの社会学科は目下「公共社会学の中心的拠点」と宣伝している(Voss 2005)。その学科が公共社会学の自称スターを抱えているので,その記述は全く驚かない。 バークレーは一連の公共社会学トークを組織し,公共社会学の促進に多大な時間とエネル ギーをつぎ込んでいるように思われる。バークレーの自画像で注目すべきは,バークレーよ りもアメリカの公衆から社会学科がさらに離れることを想像することが困難な点である。し かしおそらくケチャップはキャベツである。

バークレーのほかにも,単に公共社会学者を数人抱えているだけでなく,公共社会学を推 進することにはっきり打ち込んでいることを喧伝する他の学科もいくつかある。ミネソタ大 学の社会学科は公共社会学の賞を設置した(Aminzade 2004)。一部の学科は彼らのジョブ宣 伝で公共社会学に向かうことをアナウンスした。ジョージ・メイソン大学は最近社会学科が 公共社会学の側面を発展させることに邁進する拡張ユニットに向けて働くことを宣言してひ とつのジョブを設置した。
  おそらくその公共社会学アスピレーションが最も目立つのはフロリダ・アトランテック大 学社会学科であろう。そのウェブサイトは社会学を学問的営みとヒューマニティの奉仕活動 の両方であると定義する合衆国内の新設の公共社会学中の学科であるとアナウンスしている(Araghi 2005)。やや当惑するのだが,ワシントン DC にあるアメリカン大学社会学科はその MA プログラムに「専門社会学」への新たな集中をアナウンスしている。この集中は学生に 広汎な専門職セッテングの中で社会学をどのように利用するかを教えることを意図している (American University 2005)。ここでは「専門社会学」はまた公共社会学でもある。 社会学ジャーナルのいくつかは公共社会学に別々の注目を払ったが,大半はそのメリット を評価議論するのではなく,エクササイズとしてであった。Social Problem 誌(2004), Social Forces 誌(2004),Critical Sociology 誌(2005),British Journal of Sociology 誌(2005) では特集が組まれた。Social Forces 誌上の論争は上記の中では最も率直で,実際に公共社会 学に対する批判を含んでいた。しかし編集者 Judith Blau が Social Forces 誌の各号に独立の無 審査の公共社会学欄を設けたときに,もっとラデカルな公共社会学強襲がすぐに実現した。 ブラウはさらにその雑誌から犯罪学,公衆衛生,都市計画領域の論文は排除する声明を出し た。
公共社会学を設置するための ASA 作業集団は少なくとも今日までどうにか設置されてき ている。作業集団はウェブサイトを立ち上げたが大体不活発で,そのウェブ掲示板に掲示が 載ることはごくまれで,近年「Zetha によって占有された」というメッセージを掲示した one Zetha によって侵入された。作業集団は公共社会学の歴史的ルーツに関するレポートを 発行し,Email リストサーブを開始した。リストのこの時点での議論の主要トピックはス カラーシップよりもアクティビズムに基づいてテニュアをどうやって獲得するか,ASA 総 会に公共社会学テニュアとプロモーション・ガイドラインを支持する呼びかけであった。ま たもや,ASA 理事会での広報活動の結果,ASA 出版物 Footnotes は公共社会学の特別の欄を 設けた。社会学のテキストもまたその頁の中に公共社会学をこっそり入れるようになった。 ギデンズと彼の仲間は社会学の入門書の第 版(Giddens/Duneier/Applebaum 2005)に公共 社会学に関する新しい材料を付け加えた。おそらく公共社会学は社会学の戦闘員をも同じ戦 いに引き込むことができるだろう。

最後に公共社会学の降臨が社会学の商業化によって促進されているのを観察することは皮 肉なことかも知れないが,決してびっくりすることではない。昨年 ASA ウェブサイトは ASA の従来のロゴか 100 周年のロゴ付きの商品を学会員が購入できるオンライン上の店舗 を宣伝し始めた。ビジネスと商売の事柄に関わる問題点は,デュルケムが我々に思い起こさ せるように,経済的なものではなく道徳的なものである(Deflem 2004d)。ASA オンライン 上の店舗(近年 ASA オンライン書店の商品部に改めた)は ASA 執行部のマネージャー化の もう一つのサインである。つまり ASA 執行部が絶望的なまでスカラーシップに触れず,い かにプロフェッションから遊離しているかの証しである。ASA 会長任期中マイケル・ブラ フォイのために巨大なトラベルツァーを編成することによって公共社会学を喧伝したのはこ の執行部である。商業化もしかり。2004 年のサンフランシスコ集会の真に地を裂く性質を 忘れるな。それは会議の手提げ袋に企業スポンサーをあしらえた最初の ASA 集会であった。

3. 結論 ジョージア社会学雑誌

一人のアメリカの社会学者となる私の旅において,私は多くの失敗をしたし,私が祖国と 呼ぶこの国への移住には沢山の思い違いがあった。ベルギーの学界に巣くっている nepotis- tic patriarchy 縁故的家父長制とちがって,アメリカ社会学はプロフェッショナルな報酬が学 者としての業績(scholarly acomplishment)に基づく開放的な職業構造を提供しているだろ うと勘違いをした。かつて私はアメリカ社会は多くのヨーロッパの諸国で享受されているそ れより発達の遅れた公共知識文化を持つと思ったことがあったが,それを全く持っていない とは思わなかった。私が初めて「社会学を救え」キャンペーンサイトを開始したとき,それ は当時の反ブッシュ社会運動に触発されて,当時の ASA 会長マイケル・ブラフォイと公共 社会学者の名声と栄光をあしらったポスターと旗を含めた。一人の大統領にとって善である ことは別のものにとっても善であるはずと思っていた。しかし私のびっくりしたことには, ユーモアが社会学から燃え尽きるほど,その戦略は私が読み違えた大きなバックファイアを 浴びた。しかし公共知識人としての私のコミットメントを大切にしながら,全く生きた心地 がしなかったものの,私がその中で仕事をする文化により調和する仕方で貢献しようと思っ た。

その制度化の成功とともに,公共社会学者はいまやアメリカ社会学の主流のひとつとなっ てきている。白人,男性,中流におもに公共社会学は尊敬を集めている。一層悪いことには, 公共社会学は全く上品なものになってきている。公共社会学は叫ばない。礼儀正しい。公共 社会学者がそれが何を表そうと,彼らの活動もまたアメリカ文化の一部でありアメリカ文化 が育むすべてであることに少なくとも疑念を抱かないことを切望する。公共社会学は消費者 それも沢山の消費者を持っている。社会科学のファーストフードとして,公共社会学は今で は至る所にある。
だがだれひとり公共社会学の蔓延を受け入れる必要はないし,公共社会学に対して手も足 も出ないと思いこむ必要はない。最近,Social Forces 誌に新しい編集者が就任した。前編集 者は彼女が公共社会学に取り込まれていたために更迭されたのではないかもしれないが,公 共社会学欄は雑誌から除去され,リサーチの専門性のバランスを回復した。それ故私はジョー ジア社会学会の会員に,専門社会学と公共社会学を区別する要請に屈服せず,絶対的に社会 学にコミットする雑誌を設立する機会を捕まえることを呼びかける。それをジョージア社会 学雑誌と呼ぼう。ジョージアの社会学者が気に入るものなら別な呼称でも良い。ただ社会学 へのあなたのコミットメントを平易でシンプルに保つことだけを要望する。

文献一覧 
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  • Voss, Kim. 2005. “Letter from the Chair.” University of California, Berkeley, Department of Sociology website. Online: http://sociology.berkeley.edu/letter.htm

【訳者後記】

訳出したのは,Society 2013 年 50 巻 156166 頁に掲載された Mathieu Deflem 執筆 The Structural Transformation of Sociology と The Journal of Professional and Public Sociology 2005 年 1(1)に掲載された Public Sociology, Hot Dogs, Apple Pie, and Chervrolet である。著者デフ レムはベルギー生まれでベルギーのルーヴェン・カソリック大学を 1983 年に卒業,1986 年 に同大学修士課程修了,1990 年イギリスのハル大学修士課程修了,1996 年にアメリカ・コ ロ ラ ド 大 学 で 博 士 学 位 を 得 て い る 。 2 0 0 2 年 サ ウ ス ・ カ ロ ナ イ ナ 大 学 の 助 教 授 ,2 0 0 5 年 准 教 授 , 2010 年以来教授である。
最初の論文は,Society 誌がマンハッタン研究所と共催したシンポジウム「1960 年代以降 の高等教育の変貌」の登壇者として報告した原稿に加筆したものである。様々の分野の学者 が寄稿している。社会学を代表して報告したのがデフレムである。

訳者がデフレムのこの論文の存在を知ったのは,Stephen Turner 2014 American Sociology : From PreDisciplinary to PostNormal(Palgrave Macmillan)の文献一覧を通じてである。デフ レムの名はそれ以前に American Sociologist 誌 2005 年 36(3.4)号掲載 McLaughlin/Kowal- chuk/Turocotte 共著「社会学は救われる必要がない 公共社会学の分析的省察」の中で,個 人開設ウエブサイト「社会学を救え」上でブラフォイの公共社会学に対する反対キャンペー ンを展開している人物として紹介されていたので知っていた。

第二の論文は,ブラフォイのアメリカ社会学会会長就任中,アメリカ社会学会の運営が政 治化,ビジネス化していく様子に我慢がならない,マルクス主義社会学が公共社会学という 羊の皮をかぶって学会,大学の社会学科内に浸透していく様子に我慢がならない一社会学者 が,上記のウェブサイト「社会学を救え」に掲載したり,ASA 全体や個別部会のニューズ レターに寄せた意見,告発,異議申し立てをまとめたものである。特にこの論文は,ASA 公共社会学部会が発行する雑誌創刊号に,自分たちグループの批判者であるデフレムに直々 に寄稿を依頼してきたものである。第一論文では極力トーンを抑えていたデフレムがアメリ カ社会学会の質的劣化の指摘,ブラフォイが会長であったときの学会執行部のやり方に行っ た痛烈な批判の内容を知るのに格好のものである。

前述の Stephen Turner の著書は,1990 年に彼が Jonathan Turner と著した著書 The Impos- sible Science. An Institutional Analysis of American Sociology が 1989 年,絶頂期の 60 年代以降 で社会学専攻生の登録,修士,博士学位取得者が最低を記録し,社会学人気がもっとも低迷 した時期で考察を終わっているため,その後の 25 年を新著の後半部分で取り上げたもので ある。Stephen Turner の著書は,社会学専攻生,学位取得者の回復が女性の社会学専攻希望 者の増加によることと,しかしながらアメリカの社会学界のエリート大学によるヘゲモニー の不変,それを可能にしている構造(アメリカ社会学会要職の寡占と ASR,AJS 掲載寡占に よるジョブマーケット支配)に着目している。

デフレムの第一論文は,最近のアメリカ社会学会会員の増加,大学の社会学専攻者数の回 復に焦点を当てながら,学会会員である学者,教員と,彼らのテーチングを受ける学生の(量 的復活だけで喜べない)質的劣化を問題にしている。ステフェン・ターナーのアメリカ社会 学の現状分析とはひと味違った考察が味わえる。

なお Stephen Turner/Jonathan Turner 共著 The Impossible Science. An Institutional Analysis of American Sociology 1~章の翻訳は訳者が教養学部論集 167, 168 号(2014 年)に「自然科学 のようになれない社会学」と題して掲載している。関心のある向きは参照されたい。


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